都会のうた

 

*この文章は、2026年5月6日に向けてAFOCの話をしようAdvent Calendar 2025の23日目です。さらに、一つ前のブログポストの番外編でもあります。この文章だけでも読めると思いますが、よろしければどうぞ。

 

 

はじめてのライブ

ライブというものに行ったことがなかった。

クラシックのオーケストラは聴きに行ったことがあるし、あれも生演奏という意味ではライブと呼んでいいのかもしれない。あるいは、家人(中学二年生、息子)が小学校の頃は、演奏会を聴きに行っていた。鍵盤ハーモニカなどが集まって合奏するやつだ。何せ練習不足の子供たちだからいつ音を外すかとハラハラさせられたのも、今思えばライブ感があったような気がする。

でも、いわゆる「ライブ」といったら演奏されるのはポピュラー音楽だし、聴衆は立った状態で参加するし、演奏者と一緒になって歌ったり踊ったりするものだろう。そういうライブには行ったことがない。私はあまり音楽を聴かないうえに、仕事と家庭が忙しすぎて遠方までコンサートに行く時間と労力を割くのが難しいからだ。

そんな私がa flood of circleというバンドの音楽をひょんなことから聴くようになった経緯は、こちらに書いたとおりである。色々ありまして、今ではすっかりドライブ中に流す音楽の定番として定着している。そんな彼らが新宿歌舞伎町の路上で無料ライブをすると教えて頂いて、行ってみようかと思い立った。チケットを買うわけではないから急な予定が入ってキャンセルする必要もないし、時間もそんなに長くないとのことだったので。

そんなものすごく気軽な感じでライブに行こうとしていたのだが、前日にはとさんのafocフリーライブ宣伝(こちら)を読ませていただいていたら、「この曲はサビを一緒に歌えるようになっておくといいかも」とか、「この曲は手拍子が続く」とか、それぞれの曲に対するライブ対応みたいなものを書いていらして、心配になった。別にやらなくっても良いですよ、特にafocは自由ですよって、ライブ前にはとさんから教えて頂いたのだが、それでも緊張はしていたと思う。

そういえば、テレビなんかでライブ会場の様子を目にすることがあるけれども、聴衆が一糸乱れぬ動きで何か叫んだり手を振ったりしている。でも、私はドライブしている時にしかafocを聴いてこなかったので、曲名も歌詞も全然分からないのだ。歌うのは無理そうだし、経験がなさ過ぎて音に合わせて体を動かせる自信がない。大丈夫だろうか。浮いてしまわないだろうか。

 

路上というステージ

色々と不安を抱えつつも参加した初めてのライブは、予想とは全然違うものだった。いったい新宿のどんな路上でやるんだろう?と思っていたのだが、歌舞伎町タワー前の広場に立派なステージが出来ていて、入場ゲートのところでちゃんとスタッフの人が管理していた。ファンクラブの方たちの優先エリアがあって、その後に柵で区切られる形で予約なしの人たちのエリアがあった。高いところに立派なステージが作られていて、巨大なスクリーンにも映し出されていて、遠いところから眺めている私からもよく見えた。想像よりもはるかにちゃんと作られたプロの空間だった。

ちょっと大きな街へ行くと、路上でライブしている人々をよく見かける。誰もが通り過ぎていく場合もあれば、常連みたいな人びとが取り囲んでいる場合もある。私はこれまで立ち止まったことはなく、あんまりきちんと耳を傾けたこともなく、足早に通り過ぎてきた。

正直に言うと、afocのライブもその拡大版みたいなものなのかと想像していた。ちょっと広い空間があって、そこにバンドの人たちが立って演奏しているのかな、なんて。昔、ゆずが伊勢佐木町でライブしていたような感じで。だとしたら偶然通りかかる人もたくさんいるだろうし、足を止めて聞き入ってしまう人もいるのかも。

そんな私の想像とはかけ離れていたが、一方で、たまたまその日その時間帯に偶然通りかかる人を大勢見かけた。ステージのすぐ横に歌舞伎町タワーというビルがあって、そこに入っていくエレベーターに乗った人達が、誰がライブしているんだろうな?という様子で見降ろしていた。柵で区切られたすぐ横に外国から来たおそらく観光客の人たちが立っていて、こちらもafocなんて知らない様子だった。

誰も、わたしが何者であるのかを知らない。それって都会の最大の特徴である。

長く活動してきたプロのバンドですら、たまたま居合わせた人たちは、彼らの名前を知らなかったりするのである。もちろん熱心なファンの方々が大勢新宿に駆けつけていたのだけれども、そうした観客の姿すら、人びとは好奇の目で眺めている。

そんななかで、俺の歌を聴け!と言わんばかりに歌い続けるボーカルの佐々木さんがあまりにも都会的で、フォトジェニックで、現実ではなくお話のなかの出来事みたいだった。

きっと、たまたま通りかかって聴き惚れてしまった誰かがいるだろう。その人は佐々木さんの物語に巻き込まれてしまったのだ。

 

氷雨のしたで

さて、肝心のライブはどうだったかというと。車内という狭い空間で聴いてきた音楽が空に向かって広がっていくのは、全然違う経験だった。あいにくの天気で冷たい雨が降ったり止んだりしていたけれども、ステージの上の皆さんは音でバリヤーを張っているみたいに元気だった。

演奏と一緒に歌ったり手を振ったりするのは、どうにも身体が固くなってしまって出来なかった。周りの人たちはみんな年季の入ったファンであるようで、私には突然と思えるタイミングで動き出すのでちょっとドキドキした。でも、鑑賞スタイルは色々で、腕組みしてじっくりと音楽を聞き入っているお兄さんなどもいて、棒立ちの私がそれほど目立たなかったのは幸いだった。

面白かったのは、ファンクラブ優先エリアの一番後ろの空間を観察できたことである。実は、フリー入場ゾーンの一番先頭、前には柵があるだけというたいへん良いポジションを獲得できたので、目の前にファンクラブ優先エリアの最後尾があったのだ。ステージ前に人が詰めかけていたから後方には少し空間の余裕があって、その辺りに敢えてとどまっている人も結構いた。気持ちよさそうに音楽に合わせて踊っているお姉さんとか、缶チューハイ?みたいなものを飲みながら聴いているお兄さんとか、自由そうでとても良かった。

まったく見ず知らずの人たちと一定の時間同じ場所にとどまり続ける経験って、なんだか不思議である。もちろん電車やバスなんかも赤の他人と一緒に詰め込まれるけれども、あれはお互いに存在を無視するじゃないですか。儀礼的無関心というのかな。それに対してライブはもうちょっと空間や情動を共有している一体感があって、それでも個々にバラバラに楽しむことが許されている空気が、この上なく都市的だと感じた。

 

地平線に向かって走れ

私がafocの音楽を聴くのはいつもドライブしている時で、ほとんどの場合は野山や田園地帯を走っている。

どこまでも続く田んぼや畑を突っ切っていくとき、曲がりくねった山道で大きくハンドルを切るとき、もっと早く!思い切って飛び出せ!と叫ぶafocの音楽を聴いてきた。見渡す限り歩いている人なんて一人もいないような、自然のど真ん中で聴く音楽だと思っていたのだ。

初めてのライブでみた光景は、そんな運転席から眺めてきた世界とは真逆だった。無数のネオンと強いライトに照らし出されたステージは、都会の権化みたいな場所だった。ものすごいギャップだった。

ボーカルの佐々木さんによると、まさにこの新宿でバンドは結成されて、来年でちょうど20周年なのだそうだ。きっとそこで野望が共有されたのだろう。目標は日本武道館だ!とかね。誰もが夢見ることなのだろうが、実現できる人は本当に一握りだ。

匿名の群衆のなかにいるからこそ、私たちは何者かになる未来を夢見ることができる。全員が私の名前を知っているような小さな共同体に身を置いている時は、そこから出ていくことがまずもっての目標になってしまうけれども。野放図な夢も、都会でみる方がもう少し鮮明であるのだろう。

俺の夢を叶える奴は俺しかいない、と佐々木さんはライブの最後に歌っていた。お前の夢は、お前が。俺たちの夢は、俺たちが。

実のところ、私は佐々木さんの言葉にあまり共感していない。私を形作っているものは環境でしかなく、私に抱ける夢も、私にかなえられる夢も、周囲によって可能になっているだけだという悲観論者なので。

佐々木さんに共感はしないが、彼の放つ強烈なポエジーは今も忘れがたい記憶として脳裏に焼き付いている。

真っ暗な山道を走っている時も、霧の立ち込める丘陵地帯を走っている時も、私は大都会の真ん中で、色とりどりのネオンに照らされたステージを遠望したことを思い出すだろう。

あの人はいま、どんな夢を見ているのだろうか。

そう思いながら、明日も私は世界のどこかで暮らして、働いて、日々を重ねていくのである。