こわがりやの家づくり

*この文章は、ぽっぽアドベント2023の22日目です。今年のテーマはNew World! 素敵な文章がそろっています。(はとさん、毎年のとりまとめをありがとうございます。年の瀬に毎日楽しいことがあるの、素敵ですね)

adventar.org

 

 

 

家を建てる

大人になって働き始めたら、生活に新味などなくなって淡々とした日常が続いていくような気がしていた。実際に年を重ねてみたら意外とそうでもない部分も多かったのだが、まあ衣食住や仕事の見通しはつくようになってきた。だからこそつい現状に安住してしまいたくなるところを、今年はちょっと意識して暮らしを変革することにした。

家を建てることを決めたのである。

いずれは家を買おうと話しながら、結婚してからずっと借家住まいである。地価は下がらないし物価は高騰する一方だけれども、これ以上年を取るとローンが厳しくなってしまう。もたもたしていた我々が悪いと腹をくくることにした。

そうはいっても都心のマンションは新築も中古も高いしどうしたものかと思っていたら、夫が「あまり都会には住みたくない」と言い出した。もともとのんびりした地方都市の出身なうえ、長期出張中に田舎暮らしをしたことで都会へのハードルが上がってしまったのだろう。私はどちらでもよかったのだが、そういえばちょうどいい物件があることを思い出した。母方の祖父母の家である。

その家は山の中に建っている。

もう15年くらい空き家になっていて、時おり様子を見に行った母から「雨漏りがしていた」だの「床がうねっている」だの話を聞いていた。あの家を直して済めば、安上がりで良いのではなかろうか。そんな思いつきから始まった引っ越し計画は、実はまだまだ現在進行形なのだが、今年を振り返る意味を込めて考えたことを書き留めておきたい。

(とはいえ、他の方にとって役立つ話はあまりできないと思います。住宅関係のことは調べだすときりがないと思い、あえて深堀りしなかったので……)

 

リノベか、建て替えか

家があるんだから住めるようにリノベーションすればいいや、というところから始まった計画である。しかし、最初に依頼しようとしたリノベ専門の会社は何というか……合わなかった。委細は省略するけれども、今後も揉める予感しかなかった。結局その会社はお断りさせていただいたのだが、ちょっと不便な場所であるせいで近隣に他にめぼしい会社がみあたらず、思い切って建築家に依頼することにした。

建築家さんにお願いするとかお高いんでしょと尻込みしていたのだけれども、設計料は総工費と連動するので(ちなみに今回お願いした建築家さんは総工費の一割でした)、簡素な家であれば設計費も安くなるし、最初に予算を伝えればそれに合わせてくださる。リフォーム会社だとあらかじめ決められたオプションのなかから素材を選ぶことになるが、建築家さんにお願いする場合は好きに選べるのがとても楽しい。

仲介サービスを介してお二方の建築事務所に相談させていただいたのだが、興味深かったのはどちらもヒアリングの際に「料理をされるのはご夫婦のどちらですか?」「掃除はどちらが?」などと確認してこられたことだ。最終的には女性二人でやっておられる建築事務所にお願いすることにしたけれども、若い男性の建築家さんもこの点では同じで、大変感じがよかった。今時は家事をするのは妻だろうと決めつけたりしないんだな。

依頼するところまではスムーズに進んだものの、そこから先は二転三転した。家の傷みが激しく、基礎的な構造もあまりしっかりしていないうえに、現在の建築基準を満たさない部分が色々とあったのだ。それでも、これはいっそのこと建て替えるしかないのではという話になったのは予想外だった。ほら、よく古民家を素敵に改築する話があるじゃないですか。骨組みだけ残すような大幅なリノベもあるくらいだからどうとでもなると思っていたのだが、あれは築数百年みたいな建物のことだったらしい。今ではなかなか手に入らないような立派な柱や職人の手仕事はリノベしてでも残す価値があるだろうが、祖父母の家は昭和30年代に建てられた。石の上に乗っているだけの柱は、ちょっと大きな地震があれば倒壊しそうである。

子供のころに古くて大きな家だと感じていた場所は、意外と安普請で、それほど歴史もなかったのだ。これはなかなかに驚きだった。

だって、昔の私はこの家が怖くてたまらなかったのに。

 

こわがりやの子供

これまでにも私の息子が並外れた怖がりであることは書いてきたのだが(参考「トナとぬいぐるみ王国の没落」)、彼の性質は実は母譲りである。私も小さいころは想像力が暴走して怖くなってしまうタイプで、本当に難儀していた。

当時の私にとって怖いものはたくさんあったが、特に祖父母の家が恐ろしかった。灯りをつけてもなんだか暗いし、室内なのに冬はとても寒いし。夜に寝ていると、天井の木目が嫌な感じだし。壁はざらざらしているし、雨戸を閉めると外が全然見えないし。

ようするに日本家屋というものに慣れていなかったのだと思う。普段はごみごみとした都会の集合住宅に住んでいたので。実際のところ、祖父母の家は伝奇小説の舞台になるような古色蒼然としたお屋敷では決してなかった。今回の引っ越し計画が持ち上がったことで図面を見たのだが、家自体がこじんまりしているし、築数も浅い。この家に住んだことがあるのは祖父母だけで、母によれば建てる前にはサイロがあったそうだ(牛か何かを飼っていたらしい)。

家の歴史も因縁も、何もない。子供の目にはあんなに恐ろしかった対象が、こんなにちゃちなものだったなんて、拍子抜けもいいところである。

まあ私自身が成長するにつれて怖がりではなくなっていたからこそ、祖父母の家に住もうと思い立ったわけなので。恐ろしかったという記憶自体が、家と向かい合う機会を得たことでよみがえってきたものなのだ。それも、祖父との思い出とともに。

 

祖父のこと

子供のころ、長期の休みになるといつも祖父母の家で何日も過ごしていた。両親が共働きだったので、一人で家に置いておくよりも安心だったのだろう。祖父母の家の近所には一緒に遊んでくれる子もいたし、すぐそこの林や川へ探検に行けるし、帰省するのをいつも楽しみにしていた記憶がある。

それでも夜に座敷で一人寝るのは怖くてたまらなかったし、トイレに行くのも嫌だった。一番恐ろしかったのが玄関である。「小学〇年生」という雑誌で、あるとき「宇宙人特集」が組まれたことがある。それを読んだ私は、とてもリアルな悪夢を見てしまった。祖父母の家に宇宙人がやってきて、勝手口から入ってくる。私は逃げるのだが、玄関を開けるとそこに宇宙人が何人も立っている……。いまだに宇宙人の質感まで覚えているのだから、よっぽど怖かったのだろう。玄関に近づくたびに、宇宙人がいやしないかと不安になったものだ。

その恐怖感が克服されたのは祖父のおかげである。

克服のきっかけとなった出来事について書く前に、祖父について説明しておこう。

私は祖父と会話したことがない。彼は上手に話すことができなかったからだ。あぁ、とか、そぅだ、みたいな簡単なことは言えるけれども、センテンスにはならない。私が生まれるよりも前に、喉頭がんで声帯を切除していた。

祖父には片目もなかった。これまた私が生まれるよりも前に、交通事故に会ったのだと聞いている。左目のある部分が大きな白いガーゼでおおわれていた。

今にして思えば祖父は異形であったのだろう。山奥の閉ざされた村に暮らす不気味な老人というのは、昨今流行している「因習村」というミームに必ず登場する要素である。あまり好きな表現ではない……。人の見た目、しかも年齢や病気、障害に起因する風貌によって観客や読者に怖さをもたらすというのは、実際にそうした変化を経験している人にとってはなかなか辛いものじゃないかと思うからだ。

それに、あんなに怖がりだった私にとって、祖父はまったく怖くない人だった。

祖父と話したことはないが、よく一緒に散歩した。祖母は働いていたので家を留守にすることが多かったから、休暇中の昼間は祖父と過ごしていた。祖父が無言で炬燵から立ち上がる時は、私も上着を羽織って靴を履いて追いかけた。家を出て少し歩けば山道になる。その道を歩いて、川にかかる橋の上からしばらく流れを見下ろして帰るというのが祖父の定番散歩コースだった。

そうやって歩いているときに、一度だけ祖父が興奮して叫びはじめたことがある。誰も住んでいない廃屋の前を歩いていた時だった。私に向かってしきりに何か言っているのだが、全然理解できなかった。祖父はもどかしそうにしていたが、あきらめたのか私をうながして家に引き返した。

家に帰った祖父はチラシの裏紙を取り出すと、そこに絵を描きだした。おそらく、祖父は失語症も患っていたのではないかと思う。よく新聞は読んでいたけれども、字を書くことはなかったので。祖父の絵は描線が震えていて判別が難しかったが、やがて私も気づいた。それは猫の絵だった。

当時、私の家では猫を飼っていた。アミという名前の白猫だった。両親と一緒に祖父母の家を訪れるときはキャリーケースでアミも連れて行っていたのだが、あるとき、雷か何かに怯えたアミが逃げ出してしまったのだ。家族や近所の人にまで手伝ってもらって探したのだが見つからず、あきらめて両親が帰ったのが1カ月ほど前のことだったと思う。

その猫が廃屋の縁の下に隠れているのを祖父は見つけたのだ。

慌てて祖母に連絡し、母もやってきて、アミは無事に保護された。黒く汚れてやせ細って見る影もない姿だったが、祖父にはわかったらしい。(その後、アミは我が家でちゃんと長生きして、天寿をまっとうしました)

今でもチラシの裏に描かれた猫のイラストと必死だった祖父の姿を思い出すことがある。話したことはないけれども、優しい人だったのだと思う。

 

宇宙人とプレデター

さて、そんな祖父と過ごす休みの夜は、よく一緒に「木曜洋画劇場」とか「金曜ロードショー」といった番組を観ていた。祖父は洋画が好きだったのではないかと思う。若い時はずいぶんハイカラな人だったと聞いたことがあるし。

祖母が早々と寝に行ってしまった後で、二人で炬燵に足を突っ込んで様々な映画を観た。今となってはどんな作品が放映されていたのかも詳しく覚えていないのだが、一つだけ強烈に記憶に焼き付いている映画がある。

それは『プレデター』だ。

1987年に公開された、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSFアクション映画である。(この先、思い切りネタバレしています。有名な作品なので、ほぼ想像がつく範囲だとは思いますが)

私たちには作品についての予備知識は一切なく、たまたまテレビで始まった映画を観始めた。密林を探索するアメリカの軍人たち。戦争ものだろうか?それとも秘境探検もの?ジャングルに暮らす先住民との闘いだろうか?

もちろん、違った。プレデターが出てきた。まったくもって予想外だった。誰が密林で戦う見えない敵が地球外生命体だと思うだろうか。怖そうなエイリアンの姿を確認したときには、もはや離脱など不可能なところまできていた。ここでテレビを消したら、もっと怖くなってしまう。

幸いにもシュワルツネッガーは強くて、プレデターとの死闘を勝ち抜いて生き残ってくれた。

無事に番組が終わったところで、私は祖父に「すごかったね」と言った。祖父は深々と頷いた。もちろん感想を言い合うことはできなかったが、あの時の祖父は珍しく気持ちを露わにしていた。あまりにもトンデモな展開と、シュワルツネッガーの血みどろなアクションに、祖父も完全に圧倒されていたのである。

その夜、私はあまり怖い気持ちにならずに一人で寝ることができた。思えば、宇宙人への恐怖もそれから少しずつ薄れていったのである。普段は何を考えているか良く分からなかった祖父の気持ちの一端を垣間見たから。

今となっては、もう宇宙人なんて怖くない。プレデターを見かけると、手に汗を握ってテレビ画面に見入り、すごい映画だったと頷く祖父のなんだか可愛らしい仕草を思い出すからである。

 

怖くない家

そういうわけで、私はもう祖父母の家を怖いとは感じていない。

だが、家人(12歳息子)は相変わらずの怖がりやである。ポケモンスリープのおかげさまで一人でもすやすや眠れるようになったが、ふとしたことで怯えてしまうところは変わらない。

そこで新しく建てる家はできるだけ怖くないものにしようと思った。

壁の色は白めで。床の木材も少し明るめで。天井に木目があると横たわっているときに見てしまうので、クロスを貼る。家人から廊下をなくしてほしいと言われていたのだが、さすがにそれは難しいので出来るだけ余裕を持たせて、どこからでも灯りをつけられるようにした。窓も大きくして、外からの光を取り込んだ。

要するに重厚なものは容易に恐怖へ転じるので、できるだけ明るく軽やかにしたわけである。ついでに、この際だから以前より憧れていた諸々のインテリアのアイデアを実現することにした。

まず、薪ストーブを置くことを前提に煙突と炉台を設けた。壁にはできるだけたくさん棚を作りつけた。私も夫も、最近は家人も蔵書が多いので。

そして、読書をするための隅っこを作った。「Reading Nook」という単語で画像検索をかけて頂ければわかると思うのだが、欧米では家の端っこの狭い場所を読書用のスペースにするというのが人気らしい。以前から画像を見かけるたびに、良いなあと思っていたのだ。

隅っこで本を読むと安心する。きれいな色のラグにくるまって、クッションに寄りかかって読書出来たら最高だ。(そういえばこのブログのタイトル「Librocubicularist」は、寝っ転がって本を読む人、という意味の英単語です)Reading Nookとしてわざわざ設計してもらったわけではなく、リビングの端に少し天井が低くて床からも一段高くなったスペースを設けただけであるけれど。

落ち着ける場所で好きな本を読んでいれば、きっと怖くないだろう。

もちろん、家人だってすぐに成長して暗がりにおびえなくなるに違いない。あっという間に大人になって家を出て行ってしまうはずだ。それでも、新しい家を舞台に積み重なっていく記憶が暖かいものになると良いなと思っている。

 

受け継がれるもの

とはいえ、新しい家はまだ影も形もない。古い方の家を絶賛取り壊し中である。落成するのは多分、来年の夏ごろだろうか。

これからだって、まだまだ色んな難題が生じるのだろうと思っている。総工費だってまだ確定したわけではない。何しろあらゆる領域のインフレに歯止めがかからない昨今である。燃料費だっていつ上がるかわからない。建築家さんたちには本当にありとあらゆる工夫をしていただいているので、何とかそこそこのところで収まりそうだけれども。

それに、あの家を懐かしく思っているのは私だけではない。祖父はずいぶんと昔に亡くなってしまったが、母と、それから実は祖母もまだ健在で、何なら同じ高層住宅に暮らしている。

すっかり趣を変えるはずの家を、彼らはどう思うだろうか。「イエ」という言葉が家屋だけではなく連綿と続く出自を意味するように、そこには様々な思い入れとしがらみが潜んでいる。

私自身は家や土地を子々孫々に残すことにこだわりはないので、やがて相続するだろう家人は煮るなり焼くなり好きにしたらいいと思っている。一方で、あの家、あの土地、あの山を愛している母や祖母の気持ちを踏みにじりたいわけではない。庭だけはできるだけ温存するつもりなので、変わらずに残るものがあると思ってくれればいいのだけれど。

空き家として時間が止まっていた場所で、次の夏にはふたたび時計の針が動きだすだろう。新しい暮らし。新しい時間。先のことはわからないけれど、そんなに心配はしていない。

祖父との時間によって、私が宇宙人の恐怖を乗り越えられたように。誰かと暮らすことには窮屈さだけではなく、思いがけない希望も潜んでいるのだから。

 

おまけ

サムネイルがないのも寂しいので、何か画像をあげてみようかな…ということで、家人が5歳の時に作った家をご覧ください。

シルバニアプラレール+積み木+折り紙

好きに組み合わせる自由さが良いなと思って写真に撮ったのがたまたま出てきたのでした。現実に家を作るのも、これくらい自由にできたらいいのにね。

 

 

 

つながっていく

昨日のぽっぽアドベント(21日目)はふじおさんの水俣訪問記でした。

水俣の土地と海、水俣病の記憶と実在、地域アートと美味しいもの。色々なものが混然一体となって迫ってくる経験としての旅。比類ない文章でした!

 

 

そして、明日のぽっぽアドベントはurokogumoさんです。今年になってようやくHiGH&LOWを履修した私には、urokogumoさんの過去アドベントが大変ありがたかったです…。今年はどんなテーマかな?