象と家人

 

カロンとワイン

早いもので2023年も上半期が終わってしまった。家人(小学6年生男子)はこの半年でにょきにょきと身長が伸びた。一部のクラスメイトと比べたら身長も体重もまだ20センチ/20キロほど足りないが、それでも彼なりのペースで成長しているようだ。

この半年ほどで、家人の読書範囲が一気に広がったように思う。それは大人からみると行き当たりばったりで、その奇想天外なところが羨ましい。私もそういう気軽な読書をしてみたいものだが、なにしろ忙しくて余裕がない。そこで、2023年上半期に家人が読んでいた面白そうな本を書き記しておこうと思う。(全部は書ききれないので、とりあえず私が読んでもよさそうな大人向けの本だけ)

家人の読書範囲が広がったきっかけは、『マカロンはマカロン』(近藤史恵著)という本である。家人はマカロンというお菓子が好きだ。味も見た目も、多分言葉の響きも気に入っているのだと思う。ニンテンドースイッチでゲームをやる時もユーザーネームを「マカロン」としている。

そういうわけで、家人はこの推理小説を「タイトル買い」したのだった。軽い気持ちで読み始めた家人は、フレンチビストロのシェフが名探偵をつとめる物語が大変気に入ったらしく、シリーズ全作を一気読みした(そもそも家人が手に取ったのはシリーズ2作目であったので最初から)。怖くなくて、美味しそうなご飯が一杯出てきて、鮮やかに謎が解かれるのが良いらしい。奴は小食でやせっぽっちの癖に、食いしん坊なのである。

このシリーズの所為で家人はフランス料理に興味を持ち、トリュフ味のポテトチップスなどを食べて満足していた。私にも片仮名の料理を作れと迫ってきたりするが、そこは適当にかわしている。たまにパテ・ド・カンパーニュをパンの上に乗せてやると大喜びしている。

家人は最近、将来の夢はソムリエだと言いだした。おそらく本の中に登場するソムリエがお気に入りキャラなのだろう。まあどんな理由で志してもいいのだが、一滴も飲んだことがないワインを薦める職業を目指すとか、ギャンブラーだな。下戸だったらどうするんだろう……。

まあ、まだまだ無限の可能性を秘めたお年頃なので、とりあえず20歳になったらワインを飲んでみようねと答えている。

 

観念の男

小説を読んだだけでソムリエを目指そうと思い立つくらい、家人の行動はいつも観念が先行している。

それはそれで彼の美点なのだろうが、頭ではなく体を動かさなくてはならないシチュエーションではネガティブに作用することが多い。先日、小学校最後の運動会があった。小学生というのはやはり足の速い子が人気だったりするのだが、家人は足が遅い。遅いというか、足が痛い気がして全力が出せなくなってしまうのだ。

家人はとても用心深い性格だ。これはおそらく生まれつきのものである。なにしろこれまでの人生で転んだ経験がほとんどない。膝小僧を擦りむいたことも1~2回しかないと思う。二足歩行を始めたころから、5センチ程度の段差を後ろ向きに降りていたので、よほど警戒心が強いのだろう。逆に言うと、痛みに対する免疫がまったくない。だから地面を強く蹴って走ることの痛みが気になってしまうのだと思う。(念のために整形外科まで行ったので、器質的な問題ではないことは確かだ)

走れない、走るのは痛いという気持ちを引きずってしまうのはまずいなと思い、ちょっと強引に本を薦めた。この本、絶対気に入ると思うから読んでごらん。お母さんソムリエを信じてくださいよ。しつこく言っていたら渋々ページをめくりはじめ、瞬く間に気に入って猛然と読み終えた。

それが『風が強く吹いている』(三浦しをん著)である。箱根駅伝への初出場をめざす大学の陸上部が舞台のスポーツ小説だ。長距離を走る感覚が活写されていて、特に苦しさをこらえながら走り続ける先に待っているカタルシスというものが鮮明に描かれていると思う。陸上部の面々もキャラクターが立っていて、お気に入りのキャラを推すこともできるし、チームとしてのケミストリーを楽しむこともできる。

私の読み通りに家人はこの小説を大変気に入り、クラスでも布教したらしい(一人だけ読んでくれたとか)。そしてなんと、彼の100メートル走の記録は0.5秒早まった。

まさか小説を読んだだけでここまで早くなるとは……。

巧みな文章を読むと、登場人物の心理だけではなく体の動かし方や息遣いまで伝わってくる。だから、家人のように運動神経の問題ではなく心理的な問題で走れない子供にとっては、壁を乗り越える契機となったのだろう。

運動会は無事に終了し、家人は徒競走も障害物競走も、グループで二位という満足のいく結果を残した。良かったねえ、本当に。

 

世界を知る

本を読むことで足だって速くなれるが、読書を通じて世界を知るという効能の方が大きいだろう。ただそれはなかなかに諸刃の剣で、許容量を超えると受け入れられなくなる。

『風が強く吹いている』が大好評だったので、ついでにこれも読んでみたら?と同作者の『まほろ駅前多田便利軒』(三浦しをん著)を薦めてみた。家人もいそいそと読破してくれたのだが、あとからちょっと苦手なところもあった……と告白してきた。

そういえばこの作品にはメインキャラクターとして売春婦やヤクザが登場する。個人的にはひと昔前の町田の裏通りはこんな感じだった気がするけれども、家人としてはそういうところが「悪すぎる」気がしたらしい。ちょっと早かったかー。

この物語のなかで、社会の底辺/裏の部分は否定しきることのできないような活力と人間味の溢れた世界として描かれている。そうした描写を楽しむには少々読書のスキルと精神の成熟がいる。

考えてみれば、現在の物語の主流はシンデレラストーリーである。平凡な人間が輪廻転生して王侯貴族の世界の仲間入りをするような痛快な物語や、自分よりも社会階層が上の人々のゴージャスな世界を仰ぎ見て楽しむような物語が主流となっているのだ。特にライトノベルはそういう傾向だと思う。それはそれでいいですよね、私も好き。

この社会に生きる人々の大半は弱くて、平凡で、時にあまり正しくない行動を取る。だからこそ、物語を読んでいる時くらいは凡庸な日常や自分を忘れたいのだろう。

一方で、主人公である便利屋の顧客は、ツイッターで愚痴ったら炎上しそうな行動や態度ばかりを取る。正しくないし、平凡だし、薄暗いところを抱えている。でも、彼らは同時にどこか憎み切れないような人間味を湛えているのだ。

それはそれで、一つの救いだろう。SNSの発達した社会では、他者の悪意がより明瞭に可視化される。だけど、そこに気を取られすぎると自分自身がしんどくなってくるからだ。

だから、家人にはこの小説みたいなのも避けずに読んでいってほしい。まあ、あと数年したらまた薦めてみよう。(ついでに私も再読してみたい。暇ができたらね……)

 

想像力という翼

どうも母親が薦めた本は当たりはずれが大きい。というわけで『マカロン』の成功体験を踏まえ、一緒に本屋に行って、家人が「なんだか面白そう」と気になった本を買ってみた。この方法もリスキーだとは思うのだが、自分で選んだ本だというだけでポジティブに向き合えるのかもしれない。

家人が手に取ったのは、『戦場のコックたち』(深緑野分著)である。料理人が主人公、しかもミステリっぽいので『マカロン』と同じタイプの話ではないかと思ったらしい。ただし、物語の舞台は第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線、でも主人公は米軍の炊事担当だとか。全然違う話じゃないのかという気がするが、すごいスピードで読み終えていたのでハマったのだろう。

種明かしは教えてもらえなかったのだが、とても魅力的な日常の謎を解くらしかった。ちょっと悲しい終わりかただった……と言っていたが、受け止めきれない悲しさ(家人は時々ある)ではなかったようだ。

その後、いちおう家人も受験生なので近代史や公民なども勉強しているのだが、第二次世界大戦の地名などが出てくるたびに、知ってる!『戦場のコックたち』に出てきた! と喜んでいる。先日も、憲法改正のルールについて勉強している時に、どういう風に変更される可能性があるのかと訊かれたので、特に論議されているのは第9条で、憲法が改正されれば武力を保持することになる可能性が高いことを説明した。

すると家人は、『コックたち』の主人公たちが敵軍も同じ人間であることを実感するエピソードについて教えてくれた。ドイツの森(?)で、敵の歌うクリスマスソングが聞こえてくるらしい。詳しくは割愛するが、小学生でも敵への想像力が喚起される良いエピソードだった。

戦う相手も同じ人間であるという想像力を失うと、私たちはいくらでも残虐になれることを歴史は示している。想像力を培う一番の早道は、小説を読むことだ。正直に言えば、小説を読んでも国語が得意にはならないと思うが(家人は国算理社の中で、国語が一番苦手である)、それでも楽しんで読み続けてほしい。

 

象と家人

上半期最後の読書は、もっとも行き当たりばったり感の強いチョイスであった。

家人のぬいぐるみコレクション(これまでのエントリを参照)にパオゾウとパオリンという象がいる。だから家人はかわいい象が好きだ。

というわけで、家人は『チョプラ警部の思いがけない相続』(ヴァシーム・カーン著)という本を読みだした。何故か。探偵の助手が赤ちゃん象であるからだ。

舞台はインドのムンバイ。警察を退職したチョプラ警部がある日突然、親戚から赤ちゃん象を相続する。で、殺人事件に巻き込まれる……らしい。家人からの断片的なコメントから総合するに、少しファンタジー味のある(動物の気持ちがわかるおじさんが出てくるんだよ:家人談)推理小説だと思われる。ノルマンディーの次はムンバイとか、世界を縦横無尽にしている。

家人の読書期間中、「そういえばチョプラ警部がさあ……」と時おり教えてくれる近況がとても楽しかった。

「チョプラ警部がさあ、悪いやつに川に落とされたんだけど、象が助けてくれたんだよ」「へえ、長い鼻で引っ張り上げてくれたのかな?」「ううん、悪いやつを踏み潰した」といった具合である。さすが、赤ちゃんといえど象だけのことはあるな。

もちろん、家人の理解度は小学生レベルであるので、話を聞いてもさっぱり理解できない部分があった。謎のおじさん(どこかの村で会ったらしい)が登場するらしいのだが、いくら聞いても何者なのか分からなかった。動物の言葉が分かるということだから、いわゆるサドゥー(ヒンドゥー教の行者)か何かだろうか?

でも、訳が分からないままに読み進めるというのはとても大事なことだと思う。成長してから、あれはああいうことだったのか!と合点がいく経験は私もある。知らない世界について想像を膨らませながら読んで、大人になってからその舞台に実際に行ってみるとかね。

後からパズルのピースが埋まって全体の解像度が上がっていくような、ゆっくりとした知識の蓄積はまどろっこしいものではあるけれども。目的に沿った知識だけを検索して入手するだけだと、どうしても知識は断片化されたままだから。

小学生といえど日々は忙しく、いかに効率的に知識を詰め込んでいくかが勉強の成否となる。それでも、気ままに本棚の間を逍遥して、偶然出会った本を手に取り、思いがけない世界を知っていくことの贅沢さ、楽しさを、持ち続けてほしいものだと思う。