トナとぬいぐるみ王国の没落

 

*この文章は、ぽっぽアドベント2021 https://adventar.org/calendars/6690 の18日目です。(はとさん、毎年のとりまとめ、ありがとうございます!)

 

子供について語ること

「私の望みの歓び」は今年10歳になる家人(息子)である。ぽっぽアドベントのお題をうかがってすぐ、家人について書こうと思った。

最近、家族以外の人と子供の話をする機会があまりない。赤ちゃんは存在しているだけでかわいいし、幼児はどんな行動も面白いから語り甲斐がある。でも、家人が小学生になった頃から、子供に対する愛情を大っぴらに第三者へ喧伝することや、子供の素晴らしいところを他人に自慢することは、何となく常識的なコミュニケーションから外れているような気がしてきた。

子供が大きくなればなるほど、母親が愛情を表に出すことは親離れができていない証だとみられるようにになっていく(娘よりも息子の場合、その傾向はより顕著であるように思える)。子供を一個人として尊重することを愛することの間には何の矛盾もないと思うのだが、とりあえず普段は世間に遠慮して語りすぎないように節制している。とはいえ、文章であればいつでも読むのを止められるのだし、ちょっとくらい語っても許されるんじゃないだろうか。書き留めておかなければ、刻一刻と成長していく家人の、今この瞬間のありようも、いずれ私の中で上書きされて忘れられていくだろうし。

それが惜しいと思えるくらい、私は家人の空想の王国が大好きなのだ。この王国を仮にアメリカナダと呼んでおこう(そういう感じの地名が二つ重なった名前なんです)。気がつけばかれこれ8年以上、家人のアメリカナダ話を拝聴してきた。それはとても幸福なぬいぐるみたちの世界なのである。

 

アメリカナダの誕生

家人がアメリカナダを想像/創造したのは、2歳半の時である。正確なところは覚えていないのだが、ある日突然「アメリカナダでは、みんな朝ごはんにドーナッツを食べるんだよ……」みたいなことを言い出した。最初は地名を間違えて覚えているのかと思ったのだが、そうでもないらしい。おそらく聞きかじった地名を組み合わせ、想像上の場所として膨らませたのだろう。

アメリカナダは、私たちの暮らしている世界とは少し違う、子供にとって都合の良いルールで動いている世界らしかった。泥棒はいないし、貧困もない。好きな食べ物がその辺の木になっていて、いつでも食べることができる。そして、家人の所有するぬいぐるみたちが暮らしている。彼はぬいぐるみが大好きなので、いつの間にやら増えに増え、現在では30個ほど所有している。そのぬいぐるみ全員がアメリカナダに暮らしているのである。

世界を丸ごと空想する、というのは子供によくある遊びらしい。そうして想像された世界をパラコズム(準宇宙)と呼ぶのだそうだ。例えば、ブロンテ姉妹はアングリアやゴンダルという国を想像して年代記まで執筆しているし、「ナルニア国物語」シリーズを書いたC.S.ルイスは兄弟とボクセンという擬人化された動物たちが暮らす国を創造したという。

私のオールタイム・ベスト児童文学ファンタジーはジョイ・チャント『赤い月と黒の山』という本なのだが、この小説の舞台となっているヴァンダーライという世界も、チャントが子供のころからパラコズムとして発展させてきたものである。三人の兄弟姉妹が突然異世界に放り込まれて善と悪の戦いに巻き込まれるというよくあるストーリーだが、ともかく異世界のディティールが素晴らしい。特にケントールの騎馬民族の生活世界が人間の少年の目を通じていきいきと活写されている。チャントが長い年月をかけて一つ一つの風習や神話を紡ぎあげてきた成果なのだと思う。

もちろん、家人はブロンテ姉妹やC.S.ルイスやジョイ・チャントほどの才能と几帳面さに恵まれているわけではないので、アメリカナダも行き当たりばったりの設定が付け加えられては、あっさりと忘れられていく。私たちが暮らしているのは地球という惑星であると知ったときは、アメリカナダも惑星になった。人間は猿から進化したことを知ったときは、アメリカナダの住民は熊から進化したことになった。夫がミャンマーへ出張に行ったときは、アメリカナダの通貨はチャットとなった。現実世界を知るたびにアメリカナダのディティールも増え、そしてまた忘却されていく。

おそらく、家人にとって大切なのは世界のディティールではなく、ぬいぐるみたちが仲良くにぎやかに暮らしているところなのだろう。アメリカナダのぬいぐるみたちは、それぞれの大きさや形状に基づき、血縁関係にあるらしい。テディベアはテディベア同士、象は象同士、ポケモンポケモン同士で暮らしている。(ただし、家人はぬいぐるみ全員のお兄ちゃんである)しかも、世界創造の当初はぬいぐるみたちもアメリカナダでぼんやり暮らしているだけだったのだが、家人が成長するにつれて気性が荒っぽくなり、格闘選手権的なものが開催されるようになっていった。

 

トナと家人のこと

さいころ、家人はよくぬいぐるみを振り回して戦いごっこをしていた。ぬいぐるみたちの天下一武道会を観察していると、彼らの中にもとりわけ強いやつがいることが見えてくる。それがテディベアのトナである。

トナはKALDIからやってきた。親戚からいただいたのだが、クリスマスのお菓子のおまけだったらしい。二等身のクマで、頭にトナカイの角のついたフードをかぶっている。身長は12センチほど。ぬいぐるみとしては小ぶりであるし、人畜無害そうな顔をしている。

しかし、こいつが無敵なのだ。くるくると宙を回転しては鋭い技を繰り出して、武道会でも圧勝していた。お父さんに家人がからかわれると、ムキーっと怒ってお兄ちゃん(家人)の代わりにお父さんを一番に攻撃しにいくのもトナである。旅行に行く時はぬいぐるみを幾つか持っていくのだが、トナは常に一軍である(自分で背負うリュックサックの中に入っているぬいぐるみ。スーツケースに入れられるのが二軍、家に残るぬいぐるみは控え)。家人にとって、トナが一番大切なぬいぐるみであることは明らかだった。

アメリカナダ自体が家人の願望を反映した世界であるのだろうが、その中でも一番強いトナは、家人に勇気をくれる存在なのだと思う。だから、旅行に行くといった、少し心の力を必要とするミッションにはトナがお供をするのだ。

そもそも家人は大変な怖がりである。クラスで大流行した「鬼滅の刃」も怖すぎて二話で脱落したし、「呪術廻戦」もまったく見ることができなかった。ハリポタ映画も「賢者の石」のトロールでギブアップした。小さいころは「となりのトトロ」も「カーズ」も目をつぶってやり過ごさなくてはならないシーンがあったから、これでも随分とマシになったのである。

今も家人は一人で寝ることができない。どうしても怖いのだという。小さな灯りをつけたり、音楽をかけたり、色々と試してみたが、駄目だった。言い聞かせて一人にしておいても、毛布をもって親を探しに出て来てしまう。

いったい家人は何を怖がっているのだろう。隙間があるのが駄目らしく、自分でカーテンとカーテンを洗濯バサミでしっかり止めて封印している。足元がきっちり圧迫されていないことにも不安を覚えるらしい。ただ、彼の怖れはもう少し抽象的なものも含まれているようだ。寝入る直前になると、彼はいつも不安を口にする。「お父さんとお母さんが死んじゃったらどうしよう」「泥棒が入ってきたらどうしよう」「火事になったらどうしよう」「死んだら人はどうなるの?」「宇宙の果てには何があるの?」

家人の怖れは、人生と世界の真理に対する怖れなのだ。そうなってくると大人にも答えの持ち合わせはないので、分からないけどまあ皆なんとか生きているよ、みたいな返事をするしかない。当然ながらそのような回答で不安は解消されず、家人は毎晩ぬいぐるみを抱えて眠りにつく。いつまでこの状態が続くのだろうか。こんな繊細な性格で、はたして人生を乗りきっていけるのだろうか。親としては心配しかないのだが、近ごろ変化の兆しが見えてきた。

 

かけがえがないことへの不安

実は、これまでに一度だけぬいぐるみをなくしたことがある。子育てをした方なら誰でも心当たりがあるだろうが、小さい子供を抱えて移動するのは大仕事である。運ぶ荷物が一気に増える上に、子供から目を離すことができない。どうしても隅々までは気が回らず、これまで幾つのものをなくしてきたことか。ミニカーや帽子ならまだあきらめがつくのだが、ぬいぐるみを失ったときは大変だった。

なくしたのはクマちゃんというぬいぐるみである。4歳当時、一番大好きなぬいぐるみだったのだが旅先でなくしてしまい、探しても見つからなかったのだ。事情があって母一人子一人で移動中だったので、大泣きする家人を抱えて本当に本当に大変だった(あの時、クマちゃんを探してくれた見知らぬお兄さんありがとう……今もたまに思い出してあなたの幸せを願っております)。

結局、同じぬいぐるみをIKEAで購入した。199円だった。(https://www.ikea.com/jp/ja/p/fabler-bjoern-soft-toy-beige-70215530/)手書きで家人の名前を書いたらだいたい元通りに見えたので、「クマちゃんが帰ってきたよ!」と強弁した。家人もとりあえずクマちゃんの帰還を受け入れてくれたのだが、どうやら何かが違っていたらしく、やがて彼の寵愛はトナへと移っていった。

こうしてクマちゃん失踪事件は我が家において忘れ難い事件として語り継がれていった。というか、IKEAに行くと必ず数百匹のクマちゃんがガラスケースに詰め込まれて大量に陳列されているので、どうしても事件のことが想起されてしまうのだ。

大量のクマちゃんを見かけるたびに、夫は、なくした時のために何個かまとめて買っておくべきではないかと言う(彼はすべてのカバンに目薬とリップクリームを一つずつ入れておく周到な人間だ)。でも、同じぬいぐるみを幾つもストックしておくのも、なんだか即物的すぎて違うんじゃないだろうか。そもそもクマちゃんはもはや家人の最愛のぬいぐるみではないし。なくしたら困るのは圧倒的にトナである。

前もって買っておくのも変だけれども、念のために確認しておこうか。いつKALDIで発売中止になるかもわからないし……1年ほど前にふと思い立って、検索してみた。

すると、KALDIのホームページにトナがいた。

いたのだが、全然違っていた。何しろオマケについてくる製品なので作りもかなり適当である。新品の状態ではふわふわしたぬいぐるみだったのが、家人の荒っぽい扱いによって生地の表面が擦れて薄くなり、色もかなり褪せていたのだ。

わあ、全然違う! という私の驚きの声に家人もスマホを覗き込んできた。そして……彼は多分、ショックを受けたのだと思う。あんなに強かったトナが、いつのまにか老兵となっていたことに。なくしてしまったら、二度と同じトナは帰ってこないということに。

それから、家人は滅多にトナと眠らなくなった。トナがこれ以上ぼろぼろにならないようにと気遣っているらしい。さらに、アメリカナダでもトナはぬいぐるみ格闘トーナメントにもあまり加わらなくなった。最近、かの地で開催されているらしいゲーム大会でも、トナはスプラトゥーンやフォートナイトが苦手であるそうだ。(ただし、今もスマッシュブラザーズはかなり強いらしい)

もはやトナは無敵ではなくなってしまったのだ。

こうして家人は心の支えを失った。トナがかけがえのない存在だと認識することで、全幅の信頼を寄せることができなくなってしまったのだ。現在も他のぬいぐるみと寝ているが、以前ほどぬいぐるみに依存しているわけではないようだ。アメリカナダについて話す回数もてきめんに減ってきた。

こうして家人のパラコズムはゆっくりと終焉を迎えつつある。

恐怖を克服して成長するのかと思ったら、怖がりのあまり成長せざるを得ない状況に置かれるとは。人間とはなかなか一筋縄ではいかない生き物である。

 

男の子が成長すること

家人は少しだけおとなになった。ずっと幼いままだったらどうしようと心配していたので、正直ほっとしている。(それぞれの子供の発達ペースを尊重するべきだとは思うのですが、お友達との人間関係などを考えるとね……)ただ、子供が成長していくことをストレートに喜ばしく思えない私もいる。なぜなら、彼は男の子であるからだ。

ずいぶんと前のことになるが、小学生男子がお母さんと銭湯で女風呂に入ることについて、ネット上で批判が沸き起こったことがある。こちらも裸で気になるから、小学生になったら男湯に入ってほしいという趣旨だった。連れてくる母親が非常識だし、じろじろ見つめてくる男子も嫌だというようなことも書かれていた。身体がむき出しになる場所だから、当然の感覚だと思う。

ただ、その議論を目にした時、とても苦しい気持ちになったことを今でも時おり思い出す。なぜ苦しくなったかというと、家人が小学1年生のころ、彼を連れて女湯に入ることがあったからだ。もちろん家にお風呂はあるので、夫の不在中に子供を連れて長距離移動しなくてはならない特殊状況に陥った時のことである。脱衣所に誰もいないくらい空いていたし、家人は体が小さかったので誰も気にしていなかったと思う。

それでも、ネット上の論争を通じて、小学生男子は暴力的な存在だとみられているのだということを突きつけられた。彼ら全員がスカートめくりをしたり未熟な性的関心を育んだりしているとみなすような語り口を目にするとつらくなった。家人がアメリカナダで遊んでいる間にも、男の子は「男性」という潜在的な脅威として女性とは別の陣営に押しやられていくような気がして。

でも、家人は小1だった。ひとりで男湯に入ってこい、とは言えない。もし、何かあったらどうしようという不安がぬぐえないからだ。家人がうっかり転んだとき、男湯にいる見知らぬ大人たちは彼を助けてくれるだろうか。酔っぱらったおじさんたちは、家人がお風呂の底に沈んでいても気づかなかったりするんじゃないだろうか。万が一にも小児性愛者がいたら、一体どうしたらいいんだろうか。

家人は潜在的な加害者として見られているのかもしれないが、でも被害者になる可能性も大きい。どうすればよかったんだろう。

解決法のない「詰んだ」感覚になるからこそ、あの論争が忘れられないのだと思う。

今も、自分の目の届かない場所で家人を無防備な状態にすることが怖い。彼が公衆トイレに行く時によく思うことだ。いきなり個室に連れ込まれたら、ちゃんと声を上げることができるだろうか。誰か助けてくれる大人はいるだろうか。子供は突然トイレに行きたくなる生き物だから、こればかりは防ぎようがなく、心配を止めることができない。

男の子の成長を見守ることは、彼が誰かに加害することと、誰かから加害されることを、同時に恐れることである。真逆のベクトルのことを同時に心配するのはとてもしんどい。

ただ、考えてみれば人は誰しも弱者であって強者でもある。女性だって無条件な弱者ではない。例えば、日本の旧植民地国出身の人と話していると、ある種の警戒心を感じることがある。こいつは無神経なことを言い出すんじゃないかと量られている気がするのだ。あるいは貧困状態にある人も、私に疑念のこもった視線を投げかけてくる。一年ほどフードバンクでボランティアをしていたので、そうした視線をたびたび感じた。見方を変えれば誰もが強者になるし、そこには立場差に基づく加害の可能性が常に潜んでいる。

そうした様々な対立軸のある世界で、子供たちは成長するにつれて少しずつ分断されていく。中高生になり、大学生になり、社会人になったころには、誰かからの加害を恐れる必要はなくなっているのかもしれない(それはディストピア的な希望でしかないけれども)。あるいは、アジア人として身の危険を感じながら生きているかもしれない。今はまだジェンダー区分を意識していない家人も、やがて気にするようになるだろう。お友達やメディアの影響を受けて、私とはまったく違うかたちで社会を見るようになるかもしれない。

私自身は、いつ、家人を男性という別陣営に属する存在としてみるようになるんだろうか。それとも、いつまでも自分の子供はかわいいと言い張り続け、子離れの出来ていない愚かな母親になるんだろうか。

私は、家人の成長を無邪気に喜べない。ただ、彼が誰のこともできるだけ傷つけず、誰からもできるだけ傷つけられずにこれからも生き続けてくれることを祈るしかできないからだ。

 

トナたちは冬ごもりする

そうした私の面倒くさい悩みをよそに、家人は日に日に成長している。怖がりも少しだけ薄れてきた。今もベッドに入った瞬間だけは、足に触れてもらわないと安心できないらしいのだが、その時間はどんどん短くなっている。アメリカナダのことも、近ごろはほとんど話さなくなった。

1ヵ月ほど前に聞いたのが、今のところ最新のアメリカナダ話である。そういえば韓国だと今の時期にそれぞれの家庭でキムチを漬けるらしいね。日本だとあまりやらないけど、田舎だと梅干しを作る人は多いよね。梅を干す場所がないから、都会でやるのは難しいけど……という話をしていた時のことだった。

アメリカナダでは、農家に行って、下さいって言ったら白菜も塩も貰えるんだよ」

突然、家人が言い出した。

「梅干しも作るよ。屋根に梅を干しておくと、屋根が動くの」

太陽の傾きに応じて屋根が稼働するので、狭い場所でも梅が干せるということらしい。なるほど、家人はキムチも梅干しも大好物なので、そんな想像をしたのだろう。

これが最後のアメリカナダ情報となるのだろうか。ぬいぐるみたちが日向に梅を並べ、屋根が太陽に向かってゆっくりと動く世界。複数の対立によって分断される現実の社会と比べて、アメリカナダはあまりにも牧歌的で、無害である。

ぬいぐるみのことは、今も大好きだ。

つい先日も、寝入る直前にふと、「こんなにぬいぐるみのことが大切じゃなかったらよかったのに」と言いだした。「なくした時に、かなしいでしょ」という理由だったので、大切なものがある人生の方が良いんじゃないの、というような返事をしたが。多分、彼は少しずつぬいぐるみたちを手放す心の準備をしているのだろう。

最愛のトナとは、数週間前に一緒に寝たのが最後である。古くなってきたトナを守りたい気持ちは今も強いらしいのだが、小旅行に行った先だったので、特別な機会として自分に許したらしい。

眠る前に、北はどちらの方向かと訊かれた。

「冬眠する動物は、北向きに寝るんだよ。北の方が寒いでしょ。だから、春になる前に南向きの場所で雪が解けたりして暖かくなっても、間違って目が覚めたりしないんだよ」

どこから仕入れてきた豆知識なんだろう。調べてみたところ、熊は北向きの斜面に冬ごもりの穴を掘るというのは事実らしい。そして、曲がりなりにもトナは熊である。

結局、家人とトナは北の方角に枕を置いて寝た。……相変わらず君たちはかわいいな。

北枕で冬ごもりする彼らのことを、よく覚えておこう。ぬいぐるみはゆっくりとほころび、子供は大きくなっていくのだから。この不均衡な世の中では、他者とのあいだの負荷が多すぎて、意識して生きないと不幸せになっていく。だからこそ、暮らしているだけで幸せなパラコズムがある時期存在していたことを、忘れたくない。

その王国では、ぬいぐるみと子供が、いつか来るはずの春を夢見て眠りについている。

 

 

 

 

そして明日のアドベントは……

みなみさんです!

毎年、パワフルな文章がとても素敵でした。楽しみにしています。