ヴォルコシガン・サガの話

この文章は「私が動かされたもの」というテーマの2019年アドベントカレンダーの19日目を担当するものです。(二つ目の方のカレンダーです)

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*2年間の間に邦訳が出版された本などもありますが、基本的に文章はいじらず再掲しています。

 

再読の経緯

 私の趣味は、英語で書かれたファンフィクションを読むことだ。もちろん、その時々に自分が嵌っている作品についての二次創作も好きだけれども、まったく知らないジャンルであっても楽しく読んでいる。AO3(Archives of Our Own)と呼ばれる海外のアーカイブには2019年12月時点で大体541万作品があるので、中にはそりゃあもう目をむくような傑作も数多くあるのだ。
 ヴォルコシガン・サガのファンフィクションに行き当たったのも、そういうわけで偶然だった。大変すばらしいお話を書いていらっしゃる方がいたので、他にどんな作品があるのかな……とプロフィールを見てみたところ、一時期このファンダムで作品を量産されていたのだ。
 懐かしいなあ、というのが最初に考えたことだった。ヴォルコシガン・サガというのは、アメリカのSF小説家ロイス・マクマスター・ビジョルドによる一連のスペースオペラである。アメリカでは1986年から、日本では1991年からこのシリーズの出版が開始されたから、もう30年前のことだ。現在も続編が出版され続けているとはいえ、ご存じの方は多くないかもしれない。でも、ヒューゴー賞(ファン投票で選ばれるSF・ファンタジー系の文学賞)をこれまでに7回も取っている(長編部門4回、中編部門1回、シリーズ部門2回)くらい、欧米では人気のある作家である。(長編部門の4回は、ロバート・ハインラインと並ぶ史上最多受賞だ)
 映像化されていない作品としては珍しく、ヴォルコシガン・サガはそれなりに二次創作も書かれてきたようだ。とはいえ、AO3で大体2600作品くらいというのは比較的小規模なので(例えばマーベル映画をもとにした二次創作は31万作品ほどある)、見落としてきたのだろう。
 さっそくファンダムで名作とされているファンフィクションを片っ端から読んでみたところ、私のファンフィクション・オールタイムベスト10に入るレベルの大傑作に出会ってしまった。作者が書いているのかな、まさかね……というくらいの迫真の出来だった。そのままファンダムの主だった作品を読みつくし、そこでようやく原作に立ち戻ることにした。実は、私がヴォルコシガン・サガを熱心に読んでいたのは1990年代から2000年代にかけてのことで、作者のビジョルド自身がシリーズを中断していた時期に離れていたのだ。
 久々に読んでみると、時代を先取りしたような問題意識に改めて驚いた。そして、未訳の長編がかなり衝撃的な内容で、とても考えさせられた。でも、感想を分かち合おうにも、既読の方を誰も知らないので……この場を借りて訴えさせてください(はとさん、ありがとうございます)。

 

ヴォルコシガン・サガについて

 ヴォルコシガン・サガは、ワームホール(宇宙空間をワープすることができるトンネルのようなもの)によって繋がれた星々を舞台とする遠い未来の物語だ。中心となっているのはバラヤーという星で、一時期ワームホールが閉ざされていたために、皇帝と軍人貴族(ヴォルと呼ばれている)が支配する封建的な社会を築いていた。ところが、ある日ワームホールが活動を再開し、向こう側にある星々との交流が復活する。科学技術において遅れをとっているバラヤーは、他星からの侵略をなんとかゲリラ戦で撃退し、急激な近代化に突入していく。でも、遅れをとっているのは科学技術だけではない。孤立時代のバラヤーは、女性の社会的地位が低く、障がい者は生まれた瞬間に殺され、性的マイノリティは許容されていなかった。ヴォルコシガン・サガは、こうした封建的な価値観の軛を取り外していこうとする人びとの苦闘の物語である。
 ヴォルコシガンというのは、バラヤーの軍人貴族ヴォルの家柄だ(みんな苗字に「ヴォル」がつく)。主人公のマイルズ・ヴォルコシガンはバラヤー宰相の息子なのだが、お母さんのお腹の中にいるときにテロによって身体的な障害を負ってしまう。身長が低く、背中が曲がっていて、頭だけ大きくて、骨が異常に脆いのだ。障がい者がやたら忌避されるバラヤーで、マイルズは偏見にさらされてきた。それでも自分のハンデを克服して士官学校に入ろうと奮闘する……うちに、なぜか銀河で傭兵団の提督になってしまうというのが、シリーズ第1作『戦士志願』だった。
 マイルズは、体は弱いけれども非常に頭が良くて、頑固で、両親ゆずりのカリスマを備えている。障害児は生まれた瞬間に母親によって殺されるのが当たり前という世界なのだが、強運と、周りの人びとの献身的な支援と、そして強烈な人格の力で運命を変えていく。(お祖父ちゃんも最初のうちは後継ぎにふさわしくないからとマイルズを殺そうとするのだが、彼があまりにも利発で可愛いので、ころっと参ってしまう)
 バラヤーの他にも、平安時代の日本みたいなセタガンタ帝国や、進歩的な科学技術と開明的な社会思想のベータ植民惑星など、個性豊かな星々が登場するのも楽しい。ちなみにマイルズのお母さんのコーデリアさんはベータ植民惑星の出身で、強靭なリベラリストだ。(彼女を主人公とする本も3冊あります)だからお母さんの薫陶を受けたマイルズは、マッチョなバラヤーの価値観とのあいだで板挟みになる。
 とはいえ、封建的なバラヤーにはバラヤーなりの古風な魅力がある。特に物語に魅力を添えているのが、軍人貴族であるヴォルは口頭での誓いに縛られるという設定だ。例えば「ヴォルコシガンの名に懸けて誓う」と言ったら、その約束は命を賭してでも絶対に果たさなくてはならない。それから、ヴォルの中でもそれぞれの家を率いる国守は、親衛兵士を抱えることができるのだが、この忠誠と庇護によって結ばれた絆は、例えば夫婦関係よりも強固であるとされている(法的にも、道徳的にも)。こうした規範はヴォルを特権階級にすると同時に、非常に大きな責任を抱え込ませる。
 マイルズも、うっかりヴォルコシガンの名に懸けてしまった誓いを果たすために大変な苦労をするし、親衛兵士の人生を主君として背負わなくてはいけない。第1巻ではまだ17歳なのに。まあでも、こうした中世の騎士物語のような風味は、考えてみればスペースオペラの特徴であるのかもしれない。(銀英伝とかもそうですよね)

 

日本とシンクロするところ

 今回久しぶりに再読して気づいたのだが、このシリーズは日本の歴史や習俗に大きな影響を受けているんではないだろうか。
 あからさまなところでは、前述のセタガンタ帝国がある。セタガンタでは、ゲムと呼ばれる軍人階級と、それを支配するホートと呼ばれる貴族がいる。(ホートは自分では戦わないけど、銀河最高レベルの遺伝子操作技術を発展させていて、結婚と生殖を通じてゲムを支配している)このホートの女性は、ホート・バブルと呼ばれる不透明の球体の中に一人一人が入っていて、一般の男性は声を聴くことはできるけれども姿を見ることはできない。見えないけれども、長々と髪を伸ばした夢のように美しい女性たちであるそうだ。まるで御簾の中にいる平安貴族の女性みたいではないか。(それもそのはずで、作者のビジョルド源氏物語を全巻読破しているそうです)
 セタガンタ帝国だけではなくて、バラヤーもまた、日本の歴史になぞらえた過去を経験している節がある。ワームホールが活動を再開し、孤立していたバラヤーに宇宙からセタガンタ帝国が侵略を仕掛けてくるところは、長らく鎖国して独自の文化を発展させていた日本に黒船が来航して開国を迫る明治維新を思い出させる。(ちなみに、馬に乗って山岳でのゲリラ戦でセタガンタ群を撃退したのが、マイルズのお祖父ちゃんと当時の皇帝です)
 しかも、セタガンタ帝国を追い返したバラヤーは、先進する星々に追いつけ追い越せと、今度は自分たちから隣星に侵略を開始する。ワームホールの先にある惑星コマールを無血で征服したのが、マイルズのお父さんであるアラール・ヴォルコシガンだ。ところが、部下が独断専行でコマール市民を大量虐殺してしまったことで、アラールは「コマールの虐殺者」という汚名を着せられ、その後何十年もかけてコマールとの関係の融和を目指していく。彼は毎年かならずバラヤーの士官学校で特別講義を行って、この虐殺の映像を士官学校の生徒たちに見せ、自らその過ちについて語るそうだ。
 この辺りのくだりも、旧日本軍の東アジア侵略と、そこで行った虐殺行為を着想の種にしているんではないだろうか。(もちろん日本の場合は、誰か偉い人が全部責任をひきうけたり、過ちを繰り返さないための反省と教育を何十年にもわたって徹底的に広めていったりはしていない)
 さらに、2018年に発表された未訳の中編、The Flowers of Vashnoiは、放射能で汚染された地域と、そこで生きる人びとについての物語だった。フクシマは世界中で盛んに報道されているから、これも311後の日本に触発されているんではないだろうか。
 もちろん、侵略や虐殺や災害は世界各地で起きているので、日本がモデルであるという確証があるわけではない。ただ、あり得たかもしれない歴史として読むと、私たちの現在とはことなる道筋がすこし羨ましくなる。というのも、ヴォルコシガン・サガは科学技術と人びとの努力によって世の中が少しずつ住みやすい場所になっていくという古典的なタイプのサイエンス・フィクションでもあるからだ。

 

空想科学とジェンダー

 再読してもう一つ感じたのが、ヴォルコシガン・サガに込められた問題意識は相当に時代を先取りしたものであったということである。特に、男性と女性を社会的に区別する仕組みに起因する生きづらさは、未来の生殖技術と人びとの社会改革への意思によってどのように変わりうるのだろうか?というのが、このシリーズのサイエンス・フィクションとしての発想の根幹にあるように思う。
 例えば、妊娠時点で生まれる子供の性別を決定する技術があったら、男子が家督を相続する社会では男女の人口比率が変わって男性過多になるのではないだろうか?でも、男児選好が進んだ社会は、子供が成長したころには結婚相手となる女性が不足してしまう。そうなったら女性の売り手市場となるかもしれない。保守的な男性は避けられるだろうし、星間結婚も増えるから社会はますますリベラルになっていくはずだ。(もちろん、現在も男女バランスの崩れた社会はあって、それでも保守的な傾向は弱まらないので、理想主義的なファンタジーだとは思います)
 また、人工子宮を使って子供を産む技術があったら、女性が命の危険を冒しながらお腹を痛めて生む必要はない。もちろん、保守的な人間はそういう技術はずるいものだと否定したりするだろう、日本で無痛分娩が否定されるように。だが、卵子の提供さえ受けることができれば、男性同士で子育てすることも可能だ。(『遺伝子の使命』には、男性しかいない惑星アトスが登場する。ヘテロセクシュアルの存在しない星は、もちろん人工子宮によって可能になっている)出生前診断も治療も簡単になるから、障害に対する偏見も少しずつ減っていくし、女性が働くことも少しずつ容易になっていくだろう。
 さらに、この世界では性別転換手術も発展している。だから先進的なベータ植民惑星には、男性と女性と、そして両性具有者という3つの性別がある。ちなみに、ベータの人びとが初めてのセックスを経験するときは、ライセンス付きセックスセラピストを雇うことが多くて、その際には両性具有者がとても人気があるらしい。ベータではセックスが究極的に合理化されているので、セックスワーカーは美容師みたいな技術職だと考えられているのだ。性別転換手術によって、もちろん女性が男性に、男性が女性に変わることもできる。ということは、バラヤーのような男系相続の社会では、これまでヴォルの跡取りではなかった女性が家督を継ぐ可能性が出てくるということでもある。それに社会はどのように反応するだろうか?
 生殖技術をめぐる空想は、ジェンダーという枠にとどまらない広がりを見せていく。クローン技術によって生まれた人間は、クローン元となった人物の子供か、兄弟か、それとも何なのだろうか。遺伝子検査によって、自分にもあずかり知らない過去が分かるようになったら、それは現在にどのような影響を及ぼすだろうか。
 ビジョルドが取りあつかうサイエンスは、いわゆるハードSFの素材とはだいぶん異なる。でも、「ソフト」(この区分自体、ある意味で馬鹿にされているところがありますね)な技術こそが社会を変えていくという夢を見させてくれるところが素晴らしい。ここ数年、ハリウッド映画において男女の描写の偏り(そもそも女性が登場しない、登場しても台詞が少ない、男性に助けてもらう受動的な役割が多い、などなど)が少しずつ是正されてきたけれども、その30年くらい前からビジョルドは弱者にやさしい物語を描こうとし続けてきたのだと思う。

 

アラール・ヴォルコシガンの遍歴と未訳の新刊について

 ここで紹介を終えても良いのだが、私の一番好きなキャラクターについて少し語っておきたい。アラール・ヴォルコシガンという人なんですが。シリーズの主人公であるマイルズのお父さんであり、長年にわたってバラヤーの少年皇帝の宰相をつとめた人物でもある。今回、未訳の長編まで読んで、すごくすごく考えさせられたので、整理のためにも自分の気持ちをつづってみたい。

(ここからはアラール周辺の事情について徹底的にネタバレします。邦訳が出るかも不明ですが、知りたくないかたはセクションごと飛ばしてください)

 アラールは周囲の人びとの愛憎をかき立てる人物である。天才的な戦略家で、権力への誘惑に屈することもなく宰相という重要な地位について、バラヤーの発展を牽引してきた。その一方で、アラールは「コマールの虐殺者」とも呼ばれている。惑星コマールで大量虐殺が起きた時点での司令官だったからだ。
 そんなアラールがバイセクシュアルであるということは、物語の当初からはっきりと言明されていた。若いころには、亡くなった一人目の奥さんのお兄さんと関係を持っていたのだが、この人物がどうしようもないサディストであったらしい。彼はアラールと別れた後につきあった皇太子に自分のサディズム趣味を伝授し、二人してアラールを精神的に傷つけようとする。それからアラールの長年の政敵も、彼に乗じる機会ができた途端にアラールを土下座させ、屈辱を与えようとしていた。
 アラールにとっての救いは二人目の奥さんであるコーデリアである。ベータ出身の彼女は鉄壁のリベラリストで、アラールの過去程度ではびくともしない。(敵にあなたの夫はホモセクシュアルだとほのめかされ、違いますバイセクシュアルですよ。あ、もしかしてそんなことが中傷になると思ってたんですか?とやり返したりする)
 そんなアラールも、皇帝が成人するといさぎよく宰相の地位を降りる。体が弱く差別の標的となってきたマイルズも、強くしたたかな大人に成長するので、アラールの心配の種は少しずつ減っていく。こうやって過去のアングストやメロドラマは忘れられ、時代が移り変わっていくんだなあ。これまでの私は、そんな風にヴォルコシガン・サガというシリーズをとらえていた。
 ところが。未訳の新刊Gentleman Jole and the Red Queenで、何とアラールには30年くらい付き合っていた男性の恋人がいたことが判明したのだ。浮気ではなくコーデリアの後押し及び公認の元なので、いわゆるポリアモリー(複婚)関係にあったということらしい。3人で性交しましたというようなことも述べられている。
 ……ええーーー?
 そのキャラ、シリーズの当初から登場していましたが。まさかまさかアラールと内縁関係にあったとは。マイルズも最新刊で告白を受けるまで気づいていなかったけど、私にとっても青天の霹靂だった。アラールって周りから一方的に愛されるタイプだと思っていたのだが、意外と惚れっぽい人だったんだな。いやはや、私の中のアラール観が180度変更される展開である。
 これまでもちらっと書いてきた通り、コーデリアさんの出身星であるベータ植民惑星では性行為が徹底的に脱・不道徳化されていて、どんな性的関係も行為も社会的にオープンに取りあつかわれる。人びとは性交渉が可能な年齢になるとピアスをつけて、自分の性的志向を表明する。同性が良いのか、異性が良いのか、性別は気にしないのか。相手を求めているのか、ステディな相手がいるのか。すべてが一目瞭然らしい。今回の新刊で、ベータ星では一夫一妻と決まっているわけでもなく、ポリアモリーも割と普通であるということが明らかになるのだが、それ自体は大して意外ではない。
 ただ、これまで長いこと読み続けてきたシリーズの当初から、アラールが自分の恋愛関係を息子と世間から隠し続けてきたというのがなあ……。まあそれだけバラヤーは保守的で偏見の強い社会であるということなのだろう。あと、マイルズは本当にお父さんを崇拝しているんだよね。だからアラールも告白できなかったんだと思う。人間的な弱さが容赦なく描かれるシリーズであるだけに理解はできるのだが、切ない。
 私がここまで驚いているもう一つの理由に、AO3のファンフィクションの存在がある。実は、原作が発表されるずいぶん前から、アラールと恋人の関係を描いたシリーズがあったのだ。いわゆるレア・ペアリングというやつで、たった一人の作者さんが書き続けてきたものだ。私もこのシリーズを読んだときは、意外な組み合わせを思いつく人がいるもんだなあと感心していたのに、まさかキャノン(=公式設定)になるとは……。
 海外では、ファノンと呼ばれる人気のペアリングが公式化するということはたまに起こるけれども、こういうパターンは珍しい。まあ、ポリアモリーは欧米ではリベラルな関係性だと受けとめられているらしいので、ファンフィクションの世界では人気があるし、ビジョルドもまたリベラリストなので、偶然被ったということなのだろう。
 このポリアモリーのリベラル性というのがまた、私を悩ませる点だった。一対一の関係が拘束的になりがちであることは理解できる。恋愛物語において嫉妬は深い愛情の裏返しとして描かれることが多いけれども、実際にはDVの種でしかないから。だけど、たった一人の相手と添い遂げるという、恋愛関係のロマンティックな性質が失われてしまうような気がしてしまう。
 それから、男・男・女という組み合わせにも引っかかってしまう。男性三人による恋愛関係というのは、日本のBLでもあるような気がする。それに対して、二人の男性がいるところに一人の女性が混じると、男性間のホモソーシャルな関係性が崩れてしまう気がするのだ。まあ要するに、女が割り込んでくる感があるのだろう。(ホモソーシャルってもともとは女性を媒介にした男性同士の絆であることを考えると、不思議ですね)
 物語を消費している自分は女性なのに。物語に女性が登場することを、そして男性同士の関係に割り込むことを、全面的には肯定できないでいる。男性同士の恋を傍観し、支援する女性キャラクターなら許せるのにね。なかなか因果なものだ。
 そういうわけで、割り切れない気持ちで新刊を読み終えたのだが。アマゾンのレビューなどを読んでいるうちに、だんだん天邪鬼な気分になってきた。何しろ衝撃的な内容なので、受け入れられなかった人が続出していて、悪評紛々たる有様だったのだ。ファンフィクションじゃあるまいし…とか、コーデリアは夫の浮気を許さなかっただろう…といった意見を多く見かけたけれども、それにはまったく同意できない。ビジョルドのデビュー作は、男性同士で結婚して子供を育てる星アトスの物語ですよ?もともとファンフィクションとの親和性は高かったでしょう。
 レビューを読んでいるうちに気が付いたのは、私の中にもう一つの偏見があったことだ。それは、中高年の女性の役割に対するものである。 Gentleman Jole and the Red Queenの主人公は、アラールの奥さんのコーデリアだ。この本で、彼女は76歳。ベータ植民惑星の人は長生きだから多少差っ引く必要はあるだろうけれども、私たちの感覚でいえば40代後半から50代だろうか。
 この本のなかでコーデリアは、人生に関わる幾つかの大きな決断をする。それが物語の重要な軸となっているのだが、それがシリーズ初期の惑星間の危機を救うヒロイックな物語と比べて地味だと思われているらしい。
 多くの物語において、中高年女性の役割は限られている。たいていいつも、彼女たちはサポート役である。多くの場合に彼女たちは母親だし、そうでなくとも、誰かを助けたり補佐したり助言したりする立場にある。決して自分が幸せになるための行動をとらない。彼女がわがままな悪役でない限りは。なぜなら、若くもない女性が恋愛をしたり、人生の幸せを掴んだりする話は地味で、エンターテインメント性が低いとみなされているからだ。
 でもそれは、私たちの中の「面白さ」の感覚が偏っているからではないだろうか? 今回の新刊で、コーデリアは人生の再スタートを切った。これまで勇敢かつ賢いお母さんとしてふるまってきた彼女が、誰のためでもない幸せを掴もうとする。それって斬新な物語ではないか。そんな風に考えていたら、Gentleman Jole and the Red Queenはすごくいい話だったような気がしてきた。
 ロイス・マクマスター・ビジョルドは、これまでずっと時代の先を行く人道的な物語を書いてきた。私たちの世界も、少しずつ生きやすい場所になったらいいのに。ヴォルコシガン・サガは、そうした夢と希望を持たせてくれる物語である。

 

ヴォルコシガン・サガの読み方

 最後に、ヴォルコシガン・サガの読む順番についてご説明いたします。現在のところ東京創元社で21冊(上下巻があるので、実質的には17作品)が出版されていて、さらに未訳の長編と中編が一つずつあります。何しろ長いので恐縮ですが、ひょっとして興味を持った方がいらっしゃったら、ぜひ読んでみてください。本当に面白いです。
 すべての本を読破したい方は、物語内の年代順か、日本における出版順に読んだらいいと思います。(末尾に一覧を載せておきます)ただ、これらの本がすべて同等の傑作かというとそうではなく、どうしても入り口となる本はそこまでのページ・ターナーではないところが難しいところです。
 世間的な評価が高い(=ヒューゴー賞を取っている)のは、『ヴォル・ゲーム』・『バラヤー内乱』・『ミラー・ダンス』です。客観的に判断して、シリーズ最高傑作は『バラヤー内乱』でしょう。この本は、『名誉のかけら』を読んでいさえすれば理解できます。なので、ちょっと試しに…という方にはこの二冊をお勧めします。でも『名誉のかけら』は割とクラシカルなロマンス小説なので、好みは分かれるかも。あと、性暴力への言及や未遂描写がありますので、トリガーとなる方はお気をつけください。(地雷という意味ではなく…ファンフィクションでは、トリガー・ワーニングという警告がつけられることがあります。それは、読者自身が過去に経験したことを、物語を引き金として思い出してしまうことを避けるためのものです)

 ただし、個人的には『任務外作戦』という本が大好きなのです。もう何度再読したか分からない。もっとも好きなSF小説だと思います。
 しかしこの本を読むためには、少なくとも『戦士志願』、『ヴォル・ゲーム』、『親愛なるクローン』、『ミラー・ダンス(上下) 』、『メモリー(上下) 』、『ミラー衛星衝突(上下) 』を読まないと厳しいのです……。(できたら『名誉のかけら』と『バラヤー内乱』も。登場人物の子孫が沢山登場して、隔世の感を味わえます)我こそはというかたは、是非この順番を試してみてください。
 とはいえ、『ミラー衛生衝突』という話は、かなりリアルで教科書的なモラハラ関係が描かれていますので(もちろん作者が登場人物のモラハラ性に気づいていなかったり美化していたりするわけではなく、そのヤバさをじっくりと教えてくれる感じです)、こちらもそういうのがトリガーである方は飛ばした方がいいかもしれません。
 『任務外作戦』はロマンチック・コメディで、マイルズの恋する相手への必死のアプローチと、バラヤーの国守たちの間で繰り広げられる政治闘争、そして生殖医療技術がもたらした道徳的難問が絡み合って展開していきます。私はこんなユニークなSFを他に知りません。ヴォルコシガン・サガを全巻読破するのは厳しくても、ぜひ『任務外作戦』を目標に読み進めていただけたら、こんなにうれしいことはないです。

 

【日本における出版順】

戦士志願』→『親愛なるクローン』→『無限の境界』→『ヴォル・ゲーム』→『名誉のかけら』→『バラヤー内乱』→『天空の遺産』→『ミラー・ダンス(上・下)』→『メモリー(上・下)』→『ミラー衛星衝突(上・下)』→『任務外作戦(上・下)』→『外交特例』→『大尉の盟約(上・下)』→『マイルズの旅路』→『女総督コーデリア

【物語の時系列順】

『名誉のかけら』→『バラヤー内乱』→『戦士志願』→『ヴォル・ゲーム』→『天空の遺産』→『無限の境界』→『親愛なるクローン』→『ミラー・ダンス(上・下)』→『メモリー(上・下)』→『ミラー衛星衝突(上・下)』→『任務外作戦(上・下)』→『外交特例』→『大尉の盟約(上・下)』→『マイルズの旅路』→『女総督コーデリア


* 同じユニバースだけどヴォルコシガン家とはあまり関係ない話:『自由軌道』・『遺伝子の使命』


* 未訳:The Flowers of Vashnoi.